• 小田切 信之さん

    小田切信之さん(東レコンポジット・アメリカ社 副社長 CTO)

    “モノ作り世界代表!?滋賀から生まれた世界一の技術”

    ボーイング(航空機)の機体に使われている炭素繊維素材を供給している会社といえば、東レ。世界一の技術にまで上り詰めたその技術を、東レコンポジット・アメリカ社にて副社長 兼CTO(Chief Technology Officer)として牽引する、小田切信之さんの人生。
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    始まりは哲学への好奇心

    中学生の頃、哲学なる分野に答えがあるのかもしれないと思い、哲学を説明する本に惹かれて次々と手にした。

    自分という存在はなんであろうか。
    死んだらどうなってしまうのだろうか。
    この宇宙はいったいどんな仕組みなのだろうか。

    どうにかしてこの疑問を解決したい、と思っていた時、ある本に出会った。講談社より、今もなお新シリーズが出版され続けているブルーバックスシリーズである。ブルーバックスとは、自然科学全般の話題を一般読者向けにわかりやすく解説しているシリーズ本で、アインシュタインの相対性原理を平易に解説しながら、時間と空間を説いたり、素粒子の世界から、宇宙の果てまでを語る本が何冊もあった。「もしかしたら、物理学は自分が抱いた疑問を解決してくれるかもしれない。」そんな期待から大学受験では物理学を目指した。

    ところが、当時の物理学科は、賢くて優秀な学生が集まることで知られており、試験には受からなかった。そこで、次に目指したのが化学だった。当時は公害など化学物質による問題が発生している時代で、化学というコトバに人々は良い印象を持っていなかった。しかし、動植物をはじめとする世の中の多くの生命現象から、人々の創り出す工業製品に至るまで、それぞれを分子・原子レベルまで突き詰めて行くと化学の世界にたどり着く。そういった意味でこの世の中に存在するほとんどすべての物を構成しているものや仕組みの証明や、環境問題の解決、果ては命の不思議や宇宙の不思議はすべて化学で解明できると信じ、最終的に化学科に進学した。

    東レとの出会い
    大学4年生になり、数ある研究室の中から、最も厳しいと言われていた研究環境にあえて自ら身をおき、生体に適合する高分子材料について研究を始めた。寝る間も惜しんで実験や研究に明け暮れた。

    その介あってか、社会人になることに対しては全く不安を感じることがなかった。むしろ、社会人になってからの方が生活的に楽ではないだろうかと思うことさえあった。研究者としての就職を希望していた私にとっては、給料や有給休暇をもらいながら今と同じような研究ができることは魅力的だった。それほどに大学での研究は忙しく、根を詰めたものだった。

    当時、研究室での研究活動の一環で、多くの学会に参加する機会があった。優秀な研究者や学生が一同に集まる学会で、東レの研究者がヒトの生命活動をサポートする素材の研究や開発に関することなど、生き生きと発表している姿を目の当たりにした。発表の内容もそうだが、ビジネスにする前に世の中に広く彼らの基礎研究について発表するという東レの懐の深さに惹かれた。

    なにより、研究者に広い世界に開かれた機会を与える、という仕事環境も自分にはぴったりだった。絶対に東レに入社し、生命体になじむ素材の研究を通して世の中の役に立つ製品を生み出したい。その念願が叶い、東レに入社することができた。

    成功を夢見た研究者時代
    東レに入社し、初めに配属された場所は滋賀県大津市にある研究所だった。私の主な役割は炭素繊維と複合化する樹脂の研究で、望む研究とは少し方向が違ったものの、“社会で生きる上では受け入れなくてはならない”と、覚悟を決めた。

    東レは、1960年代から、当時まだ世の中に浸透していなかった炭素繊維の研究に投資をしていた。炭素繊維が将来、世の中に受け入られ、拡がる保証もなく、途中で事業を撤退する競合企業が数ある中で、東レは粘り強く将来の成功を信じ続けた。

    とりわけ、飛行機への適用・展開を考えており、必ずや将来、炭素繊維は飛行機を構成する主たる素材になるという当時の歴代社長の信念が東レに根づいており、私も含め、研究者全員がその期待に必ず応えたい!という思いで取り組んでいた。しかしそれは、平たんな道程ではなかった。

    80年代には、炭素繊維が飛行機の素材として信頼して使える材料であることを説得するために、シアトルに本拠地を構えるボーイングの材料研究部隊に何度も赴いた。幾度となる強度テストや耐久テストをこなしたが、理由の解らない不具合や現象も発生し、その度に研究室へ戻り原因を探し続けた。時には寝る間も惜しんで研究室にこもることもあった。仕事をする上で自分の中に一つの流儀がある。それは、ユーザーからの要望に対して、常に120%の答えを出すことだ。相手の期待を超える答えを出すことで一層強い信頼関係を築くことができると信じて止まなかった。もちろん、それは容易なことではない。しかしそこには、研究者としてのプライドもさることながら、青年時代から持ち続けている好奇心が根源となり自分自身を奮い立たせていた。

    そうこう試行錯誤しているうちに、東レの技術は世界のまたその一歩先を歩んでいた。そして、研究に着手して4年、初めての材料提案から経つこと3年。ついにあのボーイングから正式に採用されることとなった。それは当時では異例の速さであった。研究室での苦労が喜びへと変わると同時に自分の流儀が間違っていなかったことを実感した瞬間でもあった。

    研究者から経営者へ
    ボーイングへの採用が決まると同時に、シアトルに炭素繊維複合材シートを供給する工場の建設も始まっていた。(現:東レコンポジット・アメリカ社)。

    今振り返ってみると、中学生の時に抱いた、「自分という存在はなんであろうか」という疑問に対する答えは、未だに見つかっていない。しかし、化学の道を極め、その分野の頂上に上り詰めた結果、見える世界が変わってきたのは間違いない。

    様々な業種の方々とお会いすることもできるようになり、経営者として化学以外に必要な知識、例えば市場構造の理解、顧客開拓、品質管理、製造プロセス改良、コストダウン、サプライチェーン管理、予算管理、人事・労務管理、各種制度・法律への対応、産官学・地域社会との関係、などあらゆる分野に手を伸ばさなければビジネスとして成功しない。その分、仕事が増えて大変だが、社会の仕組みがいかなるものかを、ごく一部ではあるものの理解することができた。今後は、炭素繊維を自動車産業をはじめとする広い産業分野に適用させることを目指して、炭素繊維の可能性を広げていきたい。

    現在の夢。“次世代の人、そして技術をそだてること!”
    日本の技術を今後も進化させるべく、次世代の優秀な人材を育成したいという思いが今はとても強い。炭素繊維における日本企業の世界のマーケットシェアは実に7割に上る。そんな“モノ作り大国日本”が今後も世界をリードしていくために、政府からの支援も得て、産官学協同プロジェクトにも関わり、新しい技術や製品を生み出す仕組み創りにも取り組んだ。大学、学会、業界団体、各地域のコンソーシアムで講演するなど、自分の経験や考えを伝え、若い人々の心に火を点け、夢に向かって動き出している。

    若者へのメッセージ
    子供の頃は誰でも好奇心でいっぱいだった。いろんなことに関して“知りたい!”という自分の気持ちを大切に、その想いを追いかけてほしい。それを追いかけ、知ることは、多少遠回りをしてでも人生において決して損にはならない。人生を豊かにすることができるし、可能性を広げることだってできる。

    それと同時に、何か一つの道を極めることも大切だ。私の場合は化学だったが、一つの道を誰にも負けないレベルまで極めることで、見える世界が変わってくる。今まで出会えなかった人に出会えるようになる。知らない世界への扉がひらき、さらに新しいことを学ぶ機会が増える。世界はそうやって広がっていく。

    記事:杉山隆昭   インタビュー:2016年10月5日