• 菅沼愛子さん

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    夫を肺がんで亡くした後、シアトルで不動産会社『宏徳エンタープライズ』を設立。2009年に、自身の生き方を綴った本を出版。その生き方は、海を越えて日本でも大きな反響を呼ぶ。「パニックにならないこと」そして「優しさ」を大切に力強く生きる、菅沼愛子さんの人生。

    宏徳エンタープライズ

    http://kohtoku.com/

    記事:田中雄一郎   インタビュー2013年10月

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    夫の死から学んだ生き方

    主人の仕事の関係でシアトルに住んでいたとき、主人が肺がんを宣告された。

    それは、2回目の転勤で、やっと海外生活に慣れて来たな、と感じていた頃だった。突然のことで当惑したが、無情にも主人はそのまま息を引き取った。

    残されたのは、主婦だった私と 一人息子。息子は不幸にして 一本指で生まれてきた。アメリカに合法的に滞在できるビザもなく、どうやってこれから2人で生きていくか、途方に暮れた。

    最愛の人の死を経験することは、あまりにも突然で、とても受け入れ難かった。今後の生活を考えると、絶望感に打ち拉がれた。

    けれど、私はそこで生き方を学んだ。「会社が倒産した」、「会社をクビになった」、「子どもが事故に会った」、「事故死をした」、「がんを宣告された」、人生には、いろんな悲劇が起こるけれど、それって 大なり小なり誰しもに降り掛かってくること。気持ちの持ち方一つで、人は前を向けるんだって。

    主人が亡くなってから私自身初めて気づいたけれど、絶対にパニックになってはいけない。今後の生活のことを考えてパニックになり、「どうしよう」といつも落ちこんで、ただ床や天井を見つめたりしても、結局ため息しか出てこなかった。仕事でも同じだけれど、パニックになったことからは、何にも見えてこない。悲しみに対して、いくら泣いてもいい。けれど、今自分がおかれている立場がどういう立場なのか、その立場で何をしなくてはいけないのか、考えなきゃいけないと経験から学んだ。

    Sammamish高校で開かれていた日本語補習校で教師をしている時、目と鼻頭の間を狙撃され、全身血だらけになり、眼球の裏を銃弾が三回跳ね返り、骨がぐしゃぐしゃになった。その時顔の半分を包帯に巻かれていた私は、もしかしたら眼球が取り除かれているのかも知れない、もうこのまま失明してしまうのかもしれない、といった思いがよぎり、天井をじっと見つめていた。でも、ベッドに横たわっていた時間は、私を冷静にさせてくれた。

    「頭も確か、歩ける、喋れる、字もかける、私の人生まだまだ大丈夫!」

    その時冷静にならないで、「私の人生どうしてこんな辛いことばかり起きるのだろうか」と考えていたら、多分日本に帰国していて、今の心豊かに人生を歩んでいる自分はなかったんじゃないかって思う。

    パニックにならないこと。

    そうすれば、必ず道が開けてくる。

    アメリカで生きるために、会社を起こす

    弁護士にアメリカで生きる方法を相談したところ「会社を起こしてください」と言われた。

    主婦だった私は、知識も技術もない。出来ることは、8年間のシアトル在住生活で培った知恵や経験を生かして、シアトルに初めて来て、身の回りのことで起こったトラブルや、分からないことの相談にのることぐらい。

    夫の死から直ぐ、さまざまな相談に応じる、便利屋のような会社を設立した。ビジネスを始めると、電話が引っ切りなしに鳴った。お客さんは凄く感謝してくれたし、信頼してくれたけれど、莫大な電話代(当時は1通話100円程度掛かる時代で、一ヶ月の電話代だけで18万円近く請求された)を支払うだけで、ビジネスとしてはお金を生み出すことは出来なかった。

    結局、直ぐに不動産会社を設立することに切り替えた。真っ青な顔をしてお客さんがまず飛び込んでくるのは、不動産に関するトラブルだと思ったから。主人の仏壇にお参りしていたら、お位牌の真ん中に『宏徳』と書いてあった。『宏徳』だけだと高利貸しみたいな名前なので、『エンタープライズ』をつけて、現在の『宏徳エンタープライズ』という会社が出来た。

    不動産の知識もライセンスも所有していなかった状態から、20年以上、不動産ビジネスをシアトルの地で続けている。続けてこられたのは、私の会社はトランザクションに全責任を持つし、間違えたことは一度もなく、領事館に問い合わせがあった際、真っ先に「宏徳さんなら間違いないです」って言ってもらえるぐらい、いろいろな人に信頼してもらえているから、だと思う。会社を大きくしたいっていう気持ちよりも、目の前の人のために全力をつくすこと、それが大切なことなんだと思う。

    菅沼さんインタビュー

    優しさを持ち続ける

    私自身は会社を大きくしていきたいとか、野心は全くない。偽善者ぶっていっているようだけど、私自身が心豊かに生きていければいい。息子が会社を継いだ後は、やっぱり自分はこの分野でやりたいとか、日本やイタリアに進出したいとか、自由に自分の意志で決めたことを、やってもらっていいと思っている。

    人間は生きていく上で、たくさん敵ができてくる。でも、優しさを忘れてはいけない。人を蹴落としてビジネスをするのは間違いだと思う。他人を蹴落として大きくなった会社は、いつかは崩れていくだろう。だから私は会社が大きくならなくてもいいから、絶対に優しさを持ち続け、パニックに決してならないことを、常に守り続けてきた。そうすると、例えば、家の修理で困った時があると、直ぐに長年付き合っている業者さんが飛んできて、助けてくれる。優しい人でいることは、強い人でなければならないと思う。だから、これからも優しい人であり続けるために、私はもっと強い人になりたい。

    慕っていた5人兄弟の一番上の兄は、「貯金はなくてもいい、貯人人生を生きなさい」といつも言った。その貯人人生とは、人との関わりを大事にすること。人との関わりを大事にするということは、人に対して優しくないとできない。本当に優しい人は心豊かでいられるから、仕事をちゃんとやってくれる。だから、不動産業界の中にはいろんな人がいるけど、私達にとって一番大切なことは、人との長く続く関係を築くことだ。

    菅沼さん講演会

    思いを一冊の本へ

    メジャーリーグで活躍した長谷川滋利投手がシアトルマリナーズに在籍していた時、会食する機会があった。その時に、「なんで、宏徳エンタープライズはシアトルにあるのですか?」と聞かれ、私は「主人が亡くなり、ビザの問題もあって、会社をシアトルで起こさなくてはならなくて」と答えた。

    すると、長谷川さんは、

    「その話を本に書いてみませんか?」

    「今の世の中暗くなっているから、愛子さんの話を聞いて、元気になる人はいっぱいいるよ」と言ってくれた。

    私自身、秀夫(息子)に、一本指で生まれた秀夫を私がどのように育て、どのような苦悩の決断をしたか、生きている証•遺言として、手渡ししたいと思っていたので、いい機会だと思い本を書くことにした。

    どのような気持ちで秀夫を育ててきたのか。

    —秀夫には優しい子になって欲しいって常に思いながら、決して厳しくしすぎず、愛情を与えて育ててきた。

    身障者ということを、背負わせないように育てられるか。

    —周りの子がやっているように、バスケットボールをやりたい!と言えば、どんなことでも何でもやらせてあげた。だから今でもゴルフとかテニス等スポーツを通じて、たくさんの仲間に囲まれている。

    秀夫は2回手術したことも記憶から薄れてしまっているかもしれないが、記してあげることで、どんな気持ちで育てたか、思い出してくれるかもしれない。秀夫が子育てする時に、役に立てられるのではないか。そんなことを常に頭に描いて、書いた。

    そして、2009年の9月、秀夫の誕生日に本を出版した。

    秀夫に直接手渡し、秀夫もお嫁さんも涙して読んでくれた。

    「こんなに辛かったのか」とか、「生まれた頃の記憶があまりないから、凄く良かった。ありがとう」って。

    その言葉を聞いたとき、本当に本を出して良かった、と心から思った。