• Dillon Brownさん

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    アニメがきっかけで日本に興味を持ち、過去に日本で4年程英語教師として働いたことがある。現在、ニンテンドー•オブ•アメリカ(以下、ニンテンドー)で翻訳業務に携わる。公私ともに大好きなゲームに囲まれ、仕事も趣味も充実した生活を送る、Dillonさんの人生。

    Nintendo of America: http://www.nintendo.com/

    記事:田中雄一郎 インタビュー:2013年8月

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    日本に興味を持ったきっかけ

    ドラゴンボール、セーラームーン、ポケモンは日本で有名なアニメだが、私が通っていたアメリカの高校でも凄く流行った。それらアニメとの出会いがきっかけで、日本に興味を持つようになった。その当時、第2言語として習っていたフランス語やイタリア語にも飽きてきたところだったので、これを機に今まで学んできた言語とは全く異なる言語である日本語を学んでみようと思ったのだ。

    日本留学 大学3年生の時に、初めて日本を訪れるチャンスに巡り会った。その頃、スタンフォード大学が中心となって、15校くらいのアメリカの大学が協力し、日本への留学プログラムを提供していた。そのプログラムで、8カ月間京都に留学することになったのだ。そこでは毎朝2時間日本語の授業が行われ、昼からは政治、文学、宗教など日本について幅広く学んだ。またこの時ホームステイをしていたので、ホストファミリーとの交流を通して、日本特有の気遣いやおもてなしの心に触れ、日本人の生活スタイルを知ることもできた。こうした経験で、ますます日本好きになり、大学卒業後もまた日本に来たいと思うようになった。

    英会話教師として再び日本へ

    両親が教育機関で仕事をしていたので、教育という分野に興味を持っていた。そして高校生の時に、YMCAで子どもたちに教える経験をし、実際に教えることの楽しさを知った。大学卒業後の進路を決める時、自分にとって興味のある「教えること」と「日本」の両方に携われる仕事がしたいと思った。

    就職先を探していた時、日本で英会話教師を募集している記事をインターネットで見付け、そこに応募してみることにした。そこで採用され、和歌山県の英会話学校に就職することが決まった。希望通り日本に再び行くことができたのである。ところがその学校は、外国人教師は私を含めて2人だけという、非常に規模の小さいところだった。

    この学校は小規模ではあったが、それゆえマンツーマン指導ができたということが、自分にとっていい経験になった。一人一人の生徒とじっくり話すことができたので、その人に合った指導方法を模索することができた。例えば、「英字新聞が読めるようになりたい」という目標を持った生徒には、英字新聞の記事についてディスカッションし、「旅が好き」という生徒とは旅行について話した。私自身がそうであるように、興味のあることから言葉を学ぶことは、言葉を習得する近道ではないかと思う。 結局私はそこで4年間働いたが、その間に毎年もう1人の先生が入れ替わっていた。というのも、その学校で働いていた私以外の外国人教師のほとんどは、観光気分で日本に来ていたからである。しかし私はこの職場を、そして2回目の日本生活を経て、より日本が身近な存在となり、第2の故郷とまで思うようになっていた。

    大学院へ進学、そして就職

    日本での結婚を契機とし、この先家族を養っていくために、英会話教師から転職することを決めた。父が大学教授だったので、大学教授という道もあるのではないかと思い、2010年、シアトルのワシントン大学の日本学修士課程に進んだ。在学中は勉強をしながら、夏にTA(教師のアシスタント)として働いた。

    大学院卒業が近くなったころから、次の仕事のことについて考え始めるようになった。日本に住んだ経験から、自分の性格と日本との相性は良いと感じたことと、身に付けた日本語を活用したいという思いから、「ずっと日本に関係する仕事を続けたい」という考えに行き着いた。そこで、就職活動では日系企業に絞って入社試験を受けることにした。 運命の巡り合わせか、テレビゲーム産業の礎を作った日本企業「任天堂」の支社がシアトルにあることを知り、大のゲーム好きである私は、同社のいくつかのポジションに応募した。果たして、生産技術部に採用され、翻訳の仕事に就くことが決まった。

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    ニンテンドーでの仕事

    ニンテンドーの生産技術部は、12人くらいの小さい部門だ。最初は契約社員で入社したが、1年後には晴れて正社員となった。私の仕事は、部品の組み立てや基盤、契約書類などの翻訳をすることが主である。最初は専門用語が多くて苦労したが、翻訳していくうちに徐々に慣れた。ほとんどは単純作業の繰り返しだが、そのなかでも私は、どの部品がどの製品に使用されるのかを想像することが好きで、それを覚えることに楽しさを感じている。

    ある日、部品コードの表記が変わり、社内で混乱したことがあった。日頃から部品に慣れ親しんでいた私は、すぐに新しいコードが理解できた。この出来事によって、「なんでも知っている人物」と周囲から頼られるようになり、新しい仕事も任されるようになった。 私の仕事は、他の人から見れば面白くないと映るかもしれないが、どんな仕事でも自分なりに改善できるし、考え方ひとつで楽しめるようにもなると思う。日頃の工夫や仕事に対する姿勢は、その後の人生を変えていくと思うので、これからもその考え方を胸に頑張っていきたい。

    ニンテンドーに入社して凄く良かったと思うのは、ほとんどの社員が自分と同じくゲーム好きだということ。キック•スターターと呼ばれるクラウドファンディング(インターネット経由で、不特定多数の人からお金を集めて必要な費用を賄う)で、毎週ゲームを購入している社員もいるくらいだ。

    ゲーム開発者という夢

    将来的にはゲームソフトの開発に携わりたいと思うことがある。ゲームが私に楽しい経験や想像する手段を与えてくれたように、自分の考えたゲームで周りの人を楽しませたい。 人は好きなことをしている時に、一番やりがいを感じるのだと思うから。私の場合は、想像力を発揮している時だ。趣味の話になるが、マジック•ザ•ギャザリングというカードゲームを仲間内でやっている時に、どんなカードで構成しようか考えるのが本当に楽しい。趣味でも仕事でも想像力を使って楽しめればいいと思う。

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    後輩へ

    「社会がこうであるからそれが正しい形だ」という観念や「こうしなければいけない」といったルールは気にしなくてもいいのではないだろうか。例えば日本では、大学を卒業したら就職活動をして良い会社に入社する、という流れがある。しかし、もし自分がそういう人生を望んでいないのであれば、別にそれに従う必要はないと思う。正社員にならないで、様々な会社で色々な仕事を経験し、自由に働いていた方が、自分の方向性が見えてくることもあるかもしれない。そして、その期間は決してマイナスにはならないはずだ。いずれ時がきた時に、今まで蓄えていた力がちゃんと返ってくると思う。年を重ねるにつれ、人生の方向性を変えることはだんだん難しくなってくると思うので、若い時に色々な経験をし、自分の本当にやりたいことを焦らず自分なりに探して欲しい。