• Michael K. Youngさん

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    ワシントン大学の学長を務めるマイケル•ヤング氏。幼少期より弁護士になる夢を抱いてその道を目指すも、夢にも思っていなかった大学の学長に就任。なぜ、ヤング氏は学長へとなったのか。大学の学長の仕事とは、どんな仕事だろうか。次の世代の若者へ….“探求しなさい”というメッセージとともに贈る、マイケル•ヤングさんのストーリー。

    記事:田中雄一郎、大瀬戸あやか 取材日:5月28日

     

    インタビュー動画(30分)

    http://youtu.be/rXKJL_vwYFE

    ワシントン大学

    http://www.washington.edu

    プレジデントオフィス
    http://www.washington.edu/president/

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    Young w JSG

    少年時代から抱いていた弁護士になる夢

    幸せで、自由奔放な生活をしながら、過ごした少年時代。
    普段は祖父母と暮らしながら、ユタ州にある中学校と高校に通い、夏の間だけ、北カリフォルニアの北部にある小さな町で、スーパーマーケットを経営していた父の元に滞在して、手伝いをしていた。当時、祖父母は8人の子供を育てていたが、みな私より少し年上だったこともあり、やりたいことは何でもやらせてくれて、とても幸せだった。同時に、しっかりとした教育を受けてきたと思う。覚えている限りでは、母は大学を卒業していたものの、私たちを育てながら2つの修士課程を終えた。母のストーリーが物語るように、教育にとても熱心な家庭で育った。

    小さい頃から周りの人に「将来は何になりたいのか?」と聞かれる度に、明確な理由は覚えていないが、いつも「弁護士になりたい」と言っていたのを覚えている。11歳か12歳くらいの時には、“弁護士の裁判所における人生”といった本を読んでいたくらい、惹かれていたのだ。被告人の無罪を主張する弁護士が出ていたテレビ番組なんかにも、釘付けになっていた。弁護士になりたい、と常に思っていたが、それだけ私にとって弁護士という仕事が魅力的だったのだと思う。彼らが、何か人々のために良いことをたくさんしているように映り、いつか私も彼らと同じようなことをしたいと思ったのが切っ掛けで興味を持ったのだと思う。

    大学生活と日本との関係

    1967年、 ブリガムヤング大学に進学し、政治学を専攻した。なぜ政治学?と思うかもしれないが、政府の仕組みや運営方法について詳しく教えてくれるだけでなく、書く力、説得する力、分析能力など、多くのことを学べ、弁護士を目指す人にとってとても役立つ学問だと思ったからだ。また、純粋に政治学に興味を持っていたのもあるが、ブリガムヤング大学では当時より、ラテンアメリカ、インドネシア、その他複数の国の政府および政治学について学べる優れたプログラムを運営しており、魅力を感じていたというのもあった。山々に囲まれた場所に大学があり、多くの友人達とハイキングやスキーなどをしながら、楽しい日々を過ごした。スキーのインストラクターの仕事を始め、学費の一部を補填しながら一生懸命働いた。

    大学の2年目が終わると、ボランティア活動の一環でモルモン教の宣教師として仕え、大学を休学して2年半の月日を任命された日本で過ごす。日本語が喋れなかったせいで、日本人のことを本当の意味では理解はできなかったかもしれない。しかし、当時から日本はとても洗練された国で、国や経済が驚くべき早さで発展を遂げており、その中で何より興味深かったのは、アメリカと共通の問題を抱えていたが、問題に対して異なる判断をしていたことだ。同じ問題にしても、国ごとに異なる選択肢があり、2国間を比較して物事を見てみるのは、とても面白かった。そうして、宣教師としての活動を終えて大学に復学すると、幾分か日本語ができるようになっていたので、日本語も専攻として学ぶことにした。

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    大学卒業後は、ハーバード大学のロー•スクールに進学。弁護士になる、という夢に従い学部時代から計画を立てて来たことを、ほとんどその通りに実行する。ハーバード大学ロー•スクールに進学した理由は、大部分の時間を西海岸で過ごしていたため、東海岸の事情を確かめてみたかったこと、そして、当時では珍しい東アジアの言語学プログラムを提供していたのが決め手だった。

    ハーバード大学ロー•スクールを卒業後、2年間は連邦最高裁判所などでアシスタントとして働き、その間、様々な大学から熱烈な勧誘を受ける。そして、1987年よりコロンビア大学の教授に就任し、日本や韓国の法律を研究。東大や早稲田大学などの客員教授も務める。途中4年間休職し、ジョージH.W.ブッシュ大統領の元、米国務省に勤務し、多くの外交政策に携わる。1998年からはジョージワシントン大学ロー•スクールの学部長に就任。また、2003年から2004年にかけて、国際宗教自由に関するアメリカ委員会という連邦政府の諮問委員会の代表を務めた。
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    ユタ大学の学長へ

    2004年、ユタ大学の学長に任命された。これまで、ジョージワシントン大学のロースクールの運営を任されていたが、予算の規模が4,000万〜5,000万円から30億円程に拡大し、とてつもなく巨大なメディカル棟も含め、14もの学校を同時に経営していくこととなり、とてつもない困難に立ち向かうこととなった。しかし幸いなことに、どちらの大学にも多くの有能なシニアリーダーが所属していて、彼らから様々なことを学べるとても良い機会だと考えると荷が軽くなった。お陰さまで、我々の在職中には様々なことを成し遂げることができたと思う。

    実は、学長という仕事は、人々が考えるよりか割と単純な仕事だったりする。まず、素晴らしい人材を適材適所に配置する。そして、共有すべきビジョンや方向性を発展させるべく、多くの情報を積み上げていき、そして、人々にそのビジョンや方向性の元で動いてもらう。働く人々が自身の持つ野心を認識し、そして、我々は持っている資源を彼らに託し、野心を実現させ、それに対して彼らに功績を与える。これが、私の考える学長の仕事だ。

    もともと、大学教授になることすら考えてもいなかった私が、学長になるのだなんて夢にも思わなかった。ロースクール時代の同僚に、将来何になりたいか尋ねたことがある。彼は大学の学長になりたいと答えたが、今まで色んな人に聞いてきた中で一番、「変わった夢だなぁ」と思っていたくらいだ。いったい誰が、大学の学長になりたいだろうか。ところが、彼は学長になろうとしたが、結局なれなかった。しかし、学長になろうとしていなかった私が、学長になった。信じられないかもしれないが、“学長になる”ということは、本当に私のキャリアプランの中にはなかったことだ。自身のキャリアをとても誇りに思っているが、その多くは偶然チャンスがやってきた時に、ただうまく掴んできただけである。時に予想していた方向と、全く異なる方向へと進むことがあるが、それはそれでいいのだと思う。

    ワシントン大学の学長として実現したいこと

    私が実現したいことは、高水準な教育機会を受ける権利を得ることだ。やってみたいと思うことはたくさんあるが、その中でも大学の国際化を進めていきたい。他の大学が進めようとしている国際化は、海外に進出していくことで国際化を進めようという考え方だが、私は少々違う考えを持っている。別の方法としては、世界を我々に近づけることだ。テクノロジーの果たす役割に注視することは、学部教育を高める上では大いに役立つだろう。我々は、規律について、少しばかり柔軟に対応していくことで、国際化に対応する心の準備を進めていけると考えている。科学者だ、物理学者だ、ビジネスマンだ、といった枠組みで括られることは、今後少しばかり減っていくだろう。むしろ私たちが知ったことや学んだことを、最大の挑戦に対して適用できる能力や考え方を、どうやって伸ばして行けるかが重要なことだ。我々は、大学にあるたくさんの優良なプログラムを、より学ぶことができ、より深く、より幅広くしていくような取り組みを進めており、とても興味深いことを行っていると思う。

    探求すること

    もちろん最初のアドバイスは、私が行った以上に勉強を頑張りなさい、ということだ。しかし、本当に重要だと思っていることは、“探求すること”である。あなたがやってみたい、と思っていることを追い求めなさい。同時に、あなたが今までやりたいと思ったことがなかったものや、あまり好きではないことにも、心を開いてみることで、多くの新しいアイデアや情熱、興味を見つけられるだろう。

    妻は、36歳になり初めて大学に通った。彼女の専攻は心理学だったが、卒業前の最後に、卒業単位とは無関係な『南極』に関する授業を履修してみた。妻によると、その授業が、思いも寄らず、今まで履修してきた中で最も面白い授業だと感じたそうだ。実際、宿題を一緒に読んでみたが、私でさえも魅了されてしまい、面白いと感じる程だった。どこから情熱が沸いてくるのか、何が自分のためになるのか、自分は何者なのか、といった疑問に対する答えを、あなたは単に知らないだけであり、それらを探す上で“探求すること”はとても素晴らしいことだ、と私は思う。

    だから、率直にみなさんには探求してほしいと思う。あなたがまだ若いということは、自分が何者であるのか、何をしたいのか、そして自分の持つ情熱は一体何なのか、知る素晴らしいチャンスである。

    教育を受けるにつれて、あなたは“専攻”という考えにあまり固執しなくなるだろう。むしろ、人生を通して、本当に使ってみたいと思う技術を伸ばして行こうという気持ちになっていく。しっかりと分析的かつ批判的に考える能力、書く、喋ることを含むコミュニケーション能力、チームで仕事をする能力、異なる視点、捉え方から問題を解決していく能力。自分の専攻の枠組みの中で、どの授業がこれらの能力を伸ばすために手助けをしてくれそうか、ということを繰り返し考えていくことが、大学の履修過程を構成していく方法であり、また、仕事について考えて行く上でも当てはまる方法である。

    仕事について考えれば考える程、どのような能力を伸ばして行くべきか認識することができ、そうすれば、この世の中で自分が本当にやりたいことと合致するような場所、少なくとも現状より良い場所に移ることができると思う。

    自分を見失ったと感じることは、悪いことではない

    もしあなたが自分を見失っていると感じたとしても、それは必ずしも悪いことと捉える必要はない。なぜならそう感じるということは、あなたにリスクをもっと取ってみなさい、何かに打ち込んでみなさい、そして自分の進むべき道を見つけてみなさいと、暗示しているからだ。このような状態に陥った時、今までやってきたことを「これは私のためにならない」と思い切って切り捨ててしまい、何か他の新しいことにチャレンジし、人生の新しい扉を開くことは決して間違いではない。逆に、あなたが一本道を進んで行くだけであるならば、何ら失う物はないし、何ら大失敗に終わることはないだろうけれど、深く人生を探求していくことはできないだろう。

    これまでに、ハイキングに何回も出掛けたが、数えきれないほど小道を進んでは引き返しを繰り返した。なぜなら私が通った道は、確かに面白かったが、結局最後は行きたかった目的地に辿り着くことはできなかったからだ。しかし、道の途中で、たくさんのことを学び、たくさんの美しいものを見て、楽しんだ。だから、今までやって来たことをばっさりと辞めて、何か新しい道に進もうとするあなたを、私は決して批判しない。逆に、これは自分にとって正しい道ではない、と判断したにも関わらず、例えば、親がそこに留まるように言ったから等、という理由で同じ場所に留まり続けた場合、あなたは心に何らかの問題を抱えることになるだろう。

    これを経済用語で、“埋没費用”と呼ぶが、覚えておいて欲しい。例えば、あなたがつまらない映画に遭遇してしまったとしよう。既に映画の代金を支払ってしまったが、あなたには2つの選択肢がある。つまらない映画をそのまま2時間見続けて、貴重な時間を無駄にするのか、又はその2時間を映画館の外に出歩き、何か他の面白いことに時間を使うか。どちらの場合もあなたは映画の代金を支払っているが、唯一の論点は、あなたはやりたくないことに犠牲を払い続けるのか、それとも損失を最小限に抑えて、次の新たな道へと進むのか。だから、何かを途中で辞めることは、批判されるべきことだとか、悪いことだとは思わない。なりたいと思っていた自分や、やりたいと思っていたことと違う、と気づいたにも関わらず、あなたがそれに対して何も行動を起こさなかった時こそ、悪いことだ。まずは何か行動してみなさい。このご時世、何かを求めてさまよい続けることは、決して批判されるようなことではないと思う。